こんにちは。えりこです。
アール・ヌーヴォーにはとても惹かれます。
国内や海外の美術館、特別展などで、アルフォンス・ミュシャ、エミール・ガレ、ルネ・ラリック、ウィリアム・モリスなどの作品を見るたびに、やっぱりいいなと思います。
スペイン・バルセロナでは、まだまだ建設中のアントニ・ガウディののサグラダ・ファミリアにも登りました。完成したらまた行ってみたいものです。
この記事では、アール・ヌーヴォーを代表するエミール・ガレについてまとめました。
エミール・ガレはどんな芸術家?
すごい人だなと思ったのは、単なる芸術家・アーティストに留まらず、工芸、産業分野で活躍し、製法特許をとったり、企業経営者としても色々なことにチャレンジして、成功している点です。
エミール・ガレの略歴
エミール・ガレ(Émile Gallé)は1846年5月4日、フランス北東部ロレーヌ地方ナンシーに生まれました。父親は高級ガラスと陶器の企画販売業を営んでおり、ガレは幼少期から自然や美術に親しみ、豊かな感性を育てました。
ナンシー帝立高等中学校で植物学や哲学など幅広い学問を修め、特に植物学に熱中。著名な植物学者ドミニク=アレクサンドル・ゴドロンの指導も受けています。
留学と技術習得
19歳でデザインを学ぶためドイツ・ワイマールに留学。その後、マイゼンタールのガラス工場でガラス工芸の技術を習得しました。
実業家としての歩み
1873年、父のガラス工房を手伝い始め、1877年には後継者として工場管理責任者に就任。経営者として工房を指揮しながら、自らも制作活動を続けました。
1886年には家具工房も開設し、ガラス工芸だけでなく高級木工家具の制作にも力を入れました。
ガレはデザインから経営まで自ら采配し、工場の意匠登録や新技術の開発にも積極的に取り組みました。
芸術家としての業績
1878年のパリ万国博覧会でガラス・陶器部門で受賞し、国際的な名声を獲得。その後も1889年、1900年のパリ万博でグランプリを受賞し、世界的な評価を得ました。
アール・ヌーヴォー運動の中心人物として、自然をモチーフにした独創的なデザインや、「もの言うガラス」と呼ばれる詩文を刻んだ作品など、革新的な表現を生み出しました。
1901年には「芸術産業地方同盟」(通称ナンシー派)を設立し、地域の芸術振興にも尽力しました。
晩年と死去
晩年も植物研究や園芸活動に熱心で、ナンシー中央園芸協会の重職も務めました。
1904年、白血病のため58歳で亡くなりました。死後も家族がガレ社の経営を引き継ぎ、1931年までガレ様式の製品が制作され続けました
キーワード
私が特に惹かれた作品などの、キーワードをあげておきます。
将来的には文章にまとめたいと思っていますが、現時点でまとめきれていないので、個人的なメモとして置いておきます。
メモ
初期は透明 美しく可愛い
酸化コバルト 月光色ガラス
陶器
虎と龍と象とヘラクレスオオカブトと芋虫 香炉 1870-78
仕事は喜び est joie花器 地質学
角鉢カエル ハス 北斎 日本風
一番 花器 アネモネ 赤が ピンク 透明
ユーモラス
ナスのランプ
玉ねぎの花器
Dragonfly
mayfly
たつの落とし子 虫 カエル